diabetic athlete

【↑うちの嫁画伯が描いた絵】

「不摂生したわけでもなんでもないのに、なんでこんな病気にならなきゃいけないんだ…。」

私は17歳の時に1型糖尿病と診断されてからというもの、自暴自棄になって頭に浮かぶのは悲観的な考えばかり。

でも、世界には1型糖尿病と診断されても努力し続けて夢を叶えスポーツ選手もいるんです。

24時間休むことなく血糖値を管理する必要がある1型糖尿病を持ちながら、過酷なトレーニングが必要なスポーツの世界で、夢を叶えてパフォーマンスを維持していくのは簡単じゃないと思います。

少し元気をもらえたような気がしました。

若い1型の方にとっても、世界で活躍する1型糖尿病のスポーツ選手がいることは刺激になるだろうし、励みにもなるんじゃないでしょうか?

特にサッカーはプロの試合だと前半後半で計90分走りまわらなればならないし、ハーフタイム以外は途中で休むこともできないので1型糖尿病を抱えながらサッカーで活躍するのは本当にすごいと思います。

もちろん、他のスポーツも血糖値をコントロールしながら激しいトレーニングや試合をしていくのは肉体的にも精神的にもかなりハードに違いありません!

私が昔サッカー部だったこともあり、今回ご紹介するスポーツ選手はサッカー選手がメインです。

ここでご紹介するほとんどの選手が子供の頃に1型糖尿病を発症しているので、同じように未成年で発症した方は胸に何か熱いものを感じることがあるかもしれませんよ!

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①Nacho (ナチョ)/サッカー

【1990年生まれ - 12歳で発症】

サッカーを知らない人でも名前は聞いたことがあるほどのスペインの名門クラブ、レアル・マドリード所属で、スペイン代表にも選ばれた選手。本名は「ホセ・イグナシオ・フェルナンデス・イグレシアス」だけど、イグナシオ……ナシオ……ナショ……ナチョってことで「ナチョ」が登録名になってます。

2018年にロシアで開催されたワールドカップ、第1戦のポルトガル代表戦。2対2の同点で迎えた後半12分に鮮やかなボレーシュートでゴールも決めています。

スペイン代表として17歳以下の欧州選手権で優勝、同じく17歳以下のワールドカップでも準優勝という輝かしい経歴の持ち主。レアル・マドリードのユース組織に入り、これからいよいよという入団2年目の12歳の時に1型糖尿病を発症しました。

最初に診察を受けた医師からは「サッカーができる日々はもう終わりだ」と告げられ、当時は絶望したそうです。しかし、夢をあきらめきれなかったナチョはその後、糖尿病の専門医のセカンドオピニオンを受けることに。

そこで「運動することは糖尿病には必要。だからサッカーを辞めることはないよ。」という言葉をもらうことができたナチョは再びサッカーを続けることを決意。

後にナチョはこう語っています。

「もちらん1型糖尿病を抱えてサッカーをすることは大変だよ。普通の人の3倍は管理をしなければならないからね。」

「普段の健康や、休み方にも気を付けないといけない。それにいつもインスリンや測定器を持ち歩かないといけない。でもそれで逆に責任感は増したと思う。」

糖尿病は自分のそばにいるチームメイトのようなもの。そう語り世界で活躍するナチョを見ると、1型糖尿病とうまく付き合っていくことの大切さを教えられているような気がします。

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②Sergi Samper (セルジ・サンペール)/サッカー

【1995年生まれ - 18歳で発症】

スペインのクラブチーム、FCバルセロナは2021年現在スペイン国内リーグで26回、FIFAクラブワールドカップで3回の優勝を誇る、世界でもトップクラスの強豪チームです。

セルジ・サンペールはそのFCバルセロナのスクールに入団するとすぐに能力を見出されてユースチームに加入し、以降は各年代でキャプテンを務めるほどにまで成長。2013年には順調にFCバルセロナBに昇格しました。

セルジ・サンペールが自身のツイッターで1型糖尿病であることを告白したのはJリーグのヴィッセル神戸に移籍後の2020年の4月18日。「糖尿病で苦労している人が世界中にいるなかで、その人たちを勇気づけるために自分にもできることがあるんじゃないかと思ったのがきっかけだった」と、告白した理由を説明しています。

サンペールが自分の体に異常を感じたのはバルセロナの下部組織に所属していた18歳の時でした。体長が優れず、練習中にもかかわらずトイレに行かずにはいられないことが多くなり、喉の渇きもおさまらない。数週間もその状態が続いた後に受けた検査の結果、1型糖尿病であることが判明し、そのまま入院することになりました。

「病名を告げられてもそれがどういう病気なのか最初はあまりよくわからなかったけど、日がたつにつれてそれが自分のサッカー人生にどれだけ大きな影響を与えるか理解していった」と語るサンペール。

やはり当時の医師からは「もうサッカーはできないだろう」と告げられたそう。サッカーで成功することが子供の頃からの夢だったので、それを聞かされた時は悲しい気持ちになって深く落ち込んだと後に振り返っています。

当時はチームメイトの前でインスリンを打つことが恥ずかしくトイレで隠れて打つことが多かったり、苦労も多かった。しかし1型糖尿病になってからも血糖値を常に管理して、ベストコンディションでサッカーができるように心がけたからこそ、世界の強豪FCバルセロナのトップチームの一員に加わることができたと感じているそうです。

インスリンの使用量を減らしつつ血糖コントロールを良好にするために、1型糖尿病になってからは炭水化物はほとんど摂取しなくなったというサンペール。彼が糖尿病を患いながらもここまでのレベルに到達できたのには、年代別のサッカーのスペイン代表チームで共に糖尿病であることを知り、語り合ったボルハ・マジョラルの存在が大きかったと言っています。

サンペールよりも若いわずか5歳で1型糖尿病であることを告げられたマジョラル。同じ病気であることと、サッカーにかける夢を共有することで孤独を感じることがなくなったみたいです。

世界でもトップクラスの強豪国であるスペインの年代別代表に2人も1型糖尿病がいるなんて、ちょっと運命を感じないではいられないかもしれませんね。

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③Washington (ワシントン)/サッカー

【1975年生まれ - 21歳で発症】

2007年に日本で開催されたサッカーのFIFAクラブワールドカップにアジアのチャンピオンとして出場した浦和レッズ。ヨーロッパチャンピオンのACミランには接戦の末敗れはしたものの、3位決定戦ではアフリカチャンピオンをPK戦の末に倒したレッズの活躍は素晴らしいものでした。

そのレッズのFWとして出場し、チームを3位に導いたのがブラジル出身のサッカー選手であるWashington Stecanela Cerqueira(ワシントン・ステカネロ・セルケイラ)です。当時のワシントンは日本のサッカーファンならまだ鮮明に思い出せるくらいJリーグでも大活躍していた選手。

しかし、実はワシントンも18歳でプロになった3年後、21歳の時に1型糖尿病を発症しています。

足首を負傷し、およそ40日間サッカーから離れることになったワシントン。その間、5kgほど体重が減少し、喉が常に渇き、排尿も急激に増えてきたそうです。医者の診断を受けた結果、1型糖尿病にかかっていることが発覚。

それ以降、毎日高単位のインスリンを打ち、他の薬を服用し、栄養士や内分泌系の医師に相談することでプレーを続けました。

しかもワシントンは1型を発症した6年後、27歳の時には心臓病も発症。カテーテル検査と血管形成手術を受けましたが、心臓発作を起こすリスクが高いためサッカーを辞めることを勧められたと言います。

しかし復帰した年のブラジル全国選手権1部(日本で言うJリーグのJ1のようなもの)の初戦でいきなりゴールを決めると、そのままゴールを量産し38試合で34ゴールの得点を記録。長いブラジル全国選手権1部の歴史の中で最高記録を塗り替えて得点王に輝いています。

選手時代は17年間のキャリアでおよそ411ゴールをあげ、ブラジル代表としても10試合に出場し3得点の成績を残したワシントン。引退後は、2012年にはブラジルのカシアス・ド・スル市の市議会議員選挙でトップ当選して政界に進出。貧しい子供たちを支援するための社会プロジェクトにも取り組むなど、サッカーだけにとどまらない素晴らしい活躍を見せてくれています。

④Magnus Wolff Eikrem (マグヌス・ウォルフ・エイクレム)/サッカー

【1990年生まれ - 17歳で発症】

当時は世界でも屈指の名門クラブチームだったマンチェスターユナイテッド。

そのマンチェスターユナイテッドにおいてユース時代のコーチから、デビッド・ベッカムのような高いスキルを持っていると評価されたノルウェー出身の選手が、マグヌス・ウォルフ・エイクレムです。

エイクレムは、18歳以下のチームキャプテンとして指名された17歳の時に1型糖尿病であることを告げられました。

病気であることを告げられてからもサッカーを辞めることなくさまざまなチームで活躍したエイクレム。自国ノルウェーに戻った後の2019年には、モルデというクラブチームで13ゴールをあげ、タイトルを獲得し、エリテセリエン・プレーヤー・オブ・ザ・イヤーにノミネートされるほどの活躍を見せました。(※エリテセリエンとはノルウェーの国内リーグ)

そして2020年にはモルデの新キャプテンとなったエイクレム。1型糖尿病に真摯に向き合う姿が、他のチームメートにもいい影響を与えた結果なのかもしれませんね。

⑤Scott Allan (スコット・アラン)/サッカー

【1991年生まれ - 3歳で発症】

元日本代表の中村俊輔も在籍した、スコットランドの強豪クラブチームであるセルティックに2015年~2019年まで所属していたスコット・アラン。スコットランドの17歳以下、21歳以下の代表にも選ばれたことがある選手で、2021年現在はチームを移籍し、同じくスコットランドリーグのハイバーニアンで活躍しています。

3歳で1型糖尿病を発症したアランは、6,7歳ころから自分で注射を打ち始めることに。試合前、トレーニング前にはチョコレートバーで軽い食事をとったりすることで血糖値を維持していたそうです。しかし、年齢が上がるにつれ運動量がハードになってきたことから、12歳ころから試合前の血糖コントロールのやり方を変えていかねばならなかったことに苦労したと言います。

ある日、試合の後半で高血糖により痙攣を起こしてしまうというトラブルが発生します。アランはそれから自分にとっての試合中の理想的な血糖値は72~108であることを発見。血糖値が高くなると早い段階で疲れを感じてしまうので、どんなに高くても180未満を90分間維持させることが望ましいと考えるようになったと言います。

私は血糖値が100を下回ってしまうと疲れやすくなりますけど、スコット・アランのようにしっかりと血糖コントロールや運動をして、常に低いHbA1cで生活していれば100くらいでは低血糖を感じることはないのかもしれません。

あくまで私の推測ですけど、運動で血糖値が下がらないように基礎のインスリンは打たないなどの対策をとった可能性もあると思います。さすがに血糖値が60を切ってしまうと頭が回らなくてプレーにも影響が出てきそうですからね…。

⑥Matthias Steiner (マティアス・シュタイナー)/ウェイトリフティング

【1982年生まれ - 18歳で発症】

ウェイトリフティングで、2008年欧州選手権で総合銀メダルを獲得。ドイツ代表選手として出場した2008年の北京オリンピックでは、105kg超級で金メダルを獲得したマティアス・シュタイナーも1型糖尿病でした。

北京で金メダルに輝いた時は1型糖尿病という肉体的な困難だけではなく、数か月ほど前に妻のスーザンが対向車線をはみ出してきた車と正面衝突して亡くなるという悲劇により、精神的にも追い込まれていたそうです。スーザンがドイツ人であることからドイツに帰化申請をし、その結果を待っている最中の出来事でした。それほどの状況にありながらも金メダルを手に入れるのは想像を絶する過酷さだったろうと思います…。

マティアス・シュタイナーが1型糖尿病と診断を受けたのは18歳の時。選手時代は1日に15回ほど血糖値を測定し、食事前にインスリンを打つことで血糖値をコントロールするだけでなく、毎時間ごとにNADA(ドイツのアンチドーピング機構)に対して今いる場所をネットで報告する義務があったと語っています。

1型糖尿病ではあるけれどそのおかげで、自分の体が休憩を求めていることや限界に達して悲鳴を上げていることなどに敏感になることができたと振り返るシュタイナー。

健康な選手はギリギリまで体に疲労が蓄積していたとしてもそれに気づかなかったり、もっと頑張ろうとすることができてしまうために将来的に大きな代償を支払うことになってしまう。休むべき時は休むということに気づくきっかけを与えてくれたということでは、1型糖尿病は悪いことばかりではなかった…とポジティブに考えていたようです。

彼は現在は引退し、歌を歌ったりタレント的な活動をしています。そしてゴールドメダリストとしての自分の経験をもとに、栄養と運動に関する本をいくつか出版したりすることで、1型糖尿病を発症した誰もが理想的な健康管理をして健康の喜びを感じることに貢献しています。

⑦Nanna Christiansen (ナンナ・クリスチャンセン)/女子サッカー

【1989年生まれ - 1歳で発症】

ナンナ・クリスチャンセンは、女子サッカーのデンマーク代表であり、デンマーク国内リーグの得点王、チャンピオンズリーグでもプレーした経験のある選手です。デンマーク代表として2021年1月時点でトータル39ゴールも記録している、チームの中心選手でもあります。

わずか1歳半で1型糖尿病と診断されたナンナ・クリスチャンセンが7歳の時に始めたサッカー。自分はただ遊んで楽しんでいるだけだったけど、周りにいる大人がサッカーをするように勧めてきたことからサッカーに興味を持ち始めたそうです。

血糖値をコントロールすることを学べば、たくさんのことができるようになると彼女は言っています。

「血糖値が高くても低くても、体で自覚するのはかなり慣れてきたの。試合中にジュースを飲むこともあったけど、血糖値が正常になるまでにそれほど時間がかからないことはもうわかってた。試合に集中することはそれほど難しくはなかったと思う。」

1型糖尿病で試合中に動けなくなるリスクよりも得点力に対する期待が上回り、それに見事にこたえてきたナンナ・クリスチャンセン。簡単にまねできることではないでしょうけど、不可能ではないことを証明してくれました。

⑧Lauren Cox (ローレン・コックス)/女子バスケットボール

【1998年生まれ - 7歳で発症】

ローレン・コックスはアメリカのテキサス州出身で、1型糖尿病として初めて女子バスケットボールでプロになった選手です。身長は193cmでポジションはPF。年間最優秀PF賞の候補にノミネートされたり、高校生時代からアメリカの代表に選ばれるなど将来を期待されるほど優れた才能を発揮していました。

7歳の時に1型糖尿病を発症したローレン・コックスは、試合中は上腕に継続的な血糖モニター(CGM)を取り付けてスポーツテープを着用し、必要なタイミングでポンプからインスリンを注入しているようです。

2019年に行われた、NCAA(全米大学体育協会)カレッジバスケットボールチャンピオンシップの試合後半、激しいねん挫で倒れた彼女。それでもプレーすることを辞めず、結果としてローレン・コックスの所属するベイラー大学は試合に勝ち、2019年シーズンのNCAAのバスケットボールチャンピオンの栄冠を手にし、ローレン・コックス自身も2019年~2020年シーズンのBig 12 Conference Women's Basketball Player of the Year(★)」に選ばれるなどの活躍を見せました。

ベイラー大学の学生時代はバスケットボールをプレーするとともに、積極的に1型糖尿病の啓発のための慈善活動に参加していたローレン・コックス。卒業後もチャリティバスケットボールの活動に取り組んだり、地域のイベントに参加したりして私たち1型糖尿病患者に貢献し続けてくれているのは本当にありがたいことだと思います。

★テキサス州とその周辺の12の大学で構成されたリーグ(現在は2つ抜けて10だけど名称は継承)

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