商業的なヒットに恵まれなかった洋楽をブログに書いてインスタにアップしたとき、海外のフォロワーさんから
I do agree! Love this song though it is underrated!(私も同感よ!この曲は過小評価されてるけど私は大好き!)
ってコメントをもらうことがあります。
そんなにちゃんとしたプロモーション活動がされなかったからなのか、良い曲なのになんでもっと売れなかったんだろうと思う曲ってありますよね。
日本の2人組バンド、plentyが2011年の12月にリリースしたシングル「あいという」もそう思える名曲のひとつ。
人恋しさを感じる季節にピッタリな、寂しげな歌詞と美しいメロディが胸に染むドラマチックなバラードです。
↓Youtube【plenty 「あいという」】
ストリングスを導入したメロディはとても悲しく、とてもドラマチックで、そして儚く美しい。
もう何もしたくないし、もう何も考えたくない。ただただボーっとすることしかできないほど精神的に疲れ切った時に聴くと、孤独感と涙で心がずぶ濡れになるような、そんな曲です。
(「あいという」リリース時は1人抜けて2人組。その後また3人組になっています)
もっとメディアに露出していれば、こんなに悲しげで素晴らしい曲がオリコンランキング44位止まりの評価で終わるわけがないと思うんですけど。
『なんとなく自然に愛について歌おうと思って曲を書き進めていたら、何もないことに気づいた。愛っていうのはドーナツの真ん中の何もない部分なんじゃないかって』
『苦しいとか、痛いとか、そういったドーナツの部分を形作る感情があるからこそ、真ん中の穴(愛)が見えるようになる。でも触れることはできないし、そもそもそこに存在するかどうかもわからない』
作詞作曲したボーカルの江沼郁弥さん自身はこの曲についてインタビューでそう語っています。
↓Songwriter(s)【江沼郁弥】
嘘はないでしょう 今、二人の中には降りしきるのは 雨椅子がないでしょう まだ、君の中には泣いているの ねぇ
いたさ いたさ … 満たされないよぽつん ぽつんと にじんで消えた君なら何という 僕なら何という誰かはあいという今はまだわからない会いたいという君ならどうする 僕ならどうする約束のないあいというには まだ哀しいとしてもあいというには 果敢なく
1番の歌詞はこんな感じで、少年のように繊細なボーカルの江沼郁弥さんの声はどこか儚げで痛々しい。
『愛』を漢字ではなく意図的に『あい』と平仮名にしているところも、
後半の1か所だけ『あいという』ではなく『あいとゆう』になっているところも、
歌詞は1度曲を聴いただけでは理解できないくらい色々と奥が深そうです…。